2011年03月16日

仙台3

震災数日、ずっと連絡をし続けているのに
連絡が取れない石巻在住の大学時代親友Tがいた。

下宿しているアパートが近かったせいもあり、
よくラグビー部の練習の後メシを食いに行った。
酒も大いに飲んだし、私と違ってまじめに講義は出るタイプ
だったが、大の釣好きで釣りの誘いだけは断らなかった。

良く釣ってきた魚を得意げにさばいては、食わせてくれた。
画に描いたような東北の純朴ないい奴だった。

卒業後仙台でのTの結婚式では、二次会の司会をやらせてもらった。
猛者ぞろいのラグビー部の中で、驚異的な腕力の持ち主だったTは
1年生の時から無敵だった。


そんなTが子どもも産まれ、新築を立てたという幸せいっぱいの
年賀状が来てから数カ月のこの震災。とても心配だった。


今朝、駅のホームでもう一度電話してみると、コール音が聞こえた。
かなり長く呼び出した後、あの懐かしい声が聞こえた。


「お~濱中じゃね!しばらく!大変だったよ~!!」

その後、何をしゃべったか覚えてない。
何本か電車が通過するのを見ながら、涙が出た。

「生きとったら、それでええねん!じゃあな!」と
切ったが、嬉しかった・・・。他の仲間たちも取り敢えずは
無事らしい。

まだまだ、
恩返しをしなければいけないことや人がたくさんいる仙台~東北。
そのためにも、もっと頑張らないければいけない。  


Posted by Hamanaka at 00:27Comments(0)日記